読んだ本
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メモ
「集団神経症と責任性には負の相関がある」
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日記
第一章、意味への意志を読み終えた。
フランクルは、空虚感や人生の無意味感の原因は還元主義にあると語る。
還元主義とは物事をひとつひとつ何らかの要素に分解していくことで説明することができると考える立場のことをさす。
また、集団神経症(空虚感の蔓延)は責任性と負の相関があることは興味深い。
本書におけるこの記述の前後の文脈から判断できることは、道徳や価値観を押し付けることはノイローゼにつながる可能性があるということである。
この点はあまり釈然とせず、個人的に、考察にまでは至らずじまいであった。
・・・
フランクルは意味と意味感の違いについて説明する。
マウスの実験において、食欲の充足、性的な充足感を与えるボタンの存在をマウスが学習すると、マウスはそのボタンを一日に五万回押し続け、本当の餌やパートナーの存在がどうでもよくなったのだという。
このマウスは意味感を享受したのであって意味を享受していることにはならないのだという。
意味は客観的であるべきだ、という立場をフランクルは取る。
ここは審美主義、快楽主義に対する批判でもあると受け取れる。
個人的には充実と充実感も同様に違うように感じた。
遊園地に行けば充実感でいっぱいになる。
ただ、家に帰ってしまえば充実感がなくなってしまう感覚を覚える。
人生に置き換えると、充実感に溢れる人生と充実に溢れる人生、どちらであるべきか問うことはできる。
最後にフランクルの言葉を書き残して終わりにしたい。
「ただ単に生き抜くことは最高の価値ではあり得ない。」
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関連図書
『夜と霧』