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読書日記828

読んだ本

引用元:版元ドットコム

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メモ

 

なし

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日記

 

面白そうな本があったので読んでみた。

ひとまず第一章「ポストモダニズム」の最後、51項まで読み終えた。

忘れないように書き残す。

 

 

・・・

 

キャンセルカルチャーというものが日本でも浸透しているように私は感じる。

特定の人物の過去の言動を掘り起こされ拡散されることによって、差別だ、時代遅れだ、などと人々から罵声のように浴びせられ、社会的地位が剥奪される。

この荒れ狂う人種、ジェンダー、ポリティカルコレクトネス等の政治問題を整理するために、著者はポストモダン思想から現在に至るまでの流れを整理、批評する。

 

 

第一章はいわゆる「ポスト構造主義」をメインとした、「言葉」と「権力」に関するトピックであった。

まず著者はミシェル・フーコーを挙げ、「知 ≒ 真理」は時代ごとの権力によって決まる(エピステーメー) のであり、科学的な意味とは違う意味での「客観性」をポストモダンは否定したと述べていく。(『言葉と物』、『臨床医学の誕生』、『監獄の誕生』、『狂気の歴史』等)

 

 

ジャック・デリダは『エクリチュールと差異』、『声と現象』等の著作によって言語の中に優越性と服従の階層的二元性を論じ、言葉は基本的に信頼できないものだとした。

 

 

ドゥルーズ=ガタリは、人々は権力の制約によって、資本主義上のコードに従い活動を行うと論じた、と説明した。(『アンチ・オイディプス』、『千のプラトー』等)

 

 

著者は、権力と知識の癒着を論じた彼らを左翼的知識人と位置付け、その潮流がポストコロニアルカルチュラル・スタディーズへと派生していく流れを論じていく。

 

・・・

 

 

著者がジャック・デリダに対して「言葉への神経症じみたポストモダン的執着」と揶揄していることから、明らかにポストモダンへの嫌悪感を感じさせられた。

 

 

思想は反証可能性が無いので、議論に終わりが見えないということを再認識させられたが、それが政治思想へと大きな影響を与えるのであれば無視することはできない、という著者の問題意識から本書が書かれたのだろうと察する。

 

 

言葉への神経症じみた、という表現はある意味では痛快であったが、人間は言葉でしか思考することができないのだから、そもそも彼らも言語に依存し、人類みな言語依存症であることに変わりはないだろう。

 

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