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読書日記692

読んだ本

仲正昌樹『増補新版 ポスト・モダンの左旋回』作品社 (2017)

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メモ

 

なし

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日記

 

モリス・バーマン『デカルトからベイトソンへ:世界の再魔術化』から得たヒントをもとに関連付けながら読む。

nainaiteiyan.hatenablog.com

 

仲正氏によれば、ミシェル・フーコーは異常者を追放してきた「知」の配置状況を終焉させることをテーマとして(あるいは闘いとして)仕事を行った。

 

 

モリス・バーマンも著書のなかでテクノロジーと時代の空虚感の連関を明かす試み、そしてその打開策を模索している。

 

また、個人的には「欲望機械」と資本主義の関係について論じたドゥルーズ=ガタリについて、仲正教授は彼らの本をどう読んだかが気になるところであった。

 

・・・

 

まず、フロイト分裂病を毛嫌いしていたことが書かれていた。

その背景からファミリー中心の精神分析理論に傾いていったのだという。

 

 

ガタリらが精神分析を批判の標的にしたことはつまり、この分裂病の治療戦略が乏しかったのではないだろうか。

(ここは改めて確認したい)

 

・・・

 

 

『哲学とは何か』という本をドゥルーズ=ガタリは書いている。

仲正氏によれば、彼らにとって哲学とは「資本」の脱属領化をめざすものだという。

池田晶子が彼ら、つまり「ニューアカデミズム」を「あれは哲学ではない」と書いていたのは、おそらく政治的な思想へと傾いていて、存在の謎を問う根源的な話からは逸脱しているからだと察する。

 

 

ポストモダンは資本主義のオルタナとして機能できていないと言われるが、換言すれば「社会はどうあるべきか」という問題に答えられないでいる。

 

 

とは言いながらも、本書を読む限り一応のところ彼らの仕事はオルタナを目指したものだと思われる。

ドゥルーズ=ガタリのいう「ノマディズム(遊牧民主義)」は科学偏重、グローバリズム、資本主義に対する抵抗戦略だと思われる。

 

 

本書を読む限り、フェリックス・ガタリ『分子革命』の主旨は、社会を変えるにはどうすればいいか。個人から変えるしかないのか、しかし個人は社会から影響を被っている、という状況のなかでいかにすればいいのかという提案としての位置付けだと思われる。

 

その戦略がノマディズムであると解釈した。

 

 

浅田彰のいう「ノリつつシラケつつ」とは、言説への定住を拒否しながらも一定期間は定住するという、ノマディズムに対するメタファーだと思われる。

 

 

しかしながら、ここまで読んだところで無意識と精神疾患の関係性は見えてこなかった。

本質は「なぜ人は病むのか」であると個人的には考えていて、精神科医の提唱する安易なハウツー(つまり朝散歩する、よく眠る、ブルーライトは避ける、カフェインは夕方避ける等)では物足りない。

むしろこのような言動には苛立つのである。

 

 

つづく