今日から「哲学ノート」というカテゴリーを設ける。
このブログのメインは読書と哲学と謳いながらも、最近は肝心の哲学が欠けている。
また、自分なりの独創性を世の中にもうちょっと突き出してみたいと思うようになった。
こちらのカテゴリーはゆっくりと更新していく予定である。
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人は場所を変えると集中力がリセットされるということがあるみたいである。
知っている人も多いと思われる、精神科医樺沢紫苑氏が前々から言っていることである。
しかし、何故そうなっているのかは彼は詳しく語らない。正確には、恐らく語ることができない。語りえぬものなのかもしれない。
空間と集中力に関しては私の生活に大きく関わることなのでこのテーマについてはよく考えることが多い。
ここで、本日私は思考実験を試みた。
人を犬小屋のような狭い空間に閉じ込め、光を遮断する。
その中にいる人はどこにいるのか知ることができないとする。
そして、その人を収容した小屋を物理的に移動させる。
場所は変わった。しかし、どう考えてもその人の集中力がリセットされるとは思えない。
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集中力をリセットするには、場所が変わったという「事実」が必要であるようにみえる。
また、事実に先行するものは「認識」であると考えられる。
認識が先で、そのあとに事実が付随する。
誰が見ても自明であるような、客観的なことを人は「事実」と言う。
しかし、それには誰もが同じように持っている「認識」が必要である。
虹が7色であるかどうかは「認識」によるので、外国では7色が「事実」であるかは疑わしい。
以上の理屈で考えると、場所を変えて集中力が変わるというのは、実は「認識」の問題であると気がつく。
集中力をリセットする鍵は認識にあると考えてもおかしくはない。
しかし、集中力をリセットする、というテーマに限っては他にもいろいろと方法論がある。
このテーマを考えることは実用的にも有益だ。
長くなってしまったので、またつづきを書きたい。
つづく