知識人は往々にして大衆文化を軽蔑する。
「A○B48の音楽は中身がない」
「最近の小説は中身が空っぽ」
池田晶子氏は「ないものはない」という、存在論的なアプローチから「ある」ものと「ない」ものとの間にある断絶について語った。
中身がない、とは何を意味するのか。
実は本人もよく分かっていないのではないだろうか。
「読んだあとに何も残らない」
吉本隆明はそのように表現していた。
何も残らないということは、本当にあり得るのだろうか。
とすれば、いったい彼は何を読んだことになるのか。
まさか、ないものを読んだということはないだろう。
これは考えものである。
つづく