社会学のコーナーに新しい本が置かれていた。
タイトルは忘れてしまったが、なにやらルッキズムに関する本のようだ。
パラパラめくると、現代を生きる若者の切実な訴えが書かれていた。
「マッチングアプリで人間不信になった」
とあった。
ようするに、顔や肩書きといった「ステータス」によって人間全体を判定されてしまうのが辛いというものだ。
何故それが人間不信に飛躍するのか。
少し考えてみた。
彼は他人を信じないが、とりあえず自分は信じているみたいである。
その心理構造の解明は精神分析家に任せたい。自己愛のようなものだ。
ただ、反射的にまず自分より他人のほうが不信になるところは面白い。
これは生存本能に近いのではないだろうか。
人は胃痛になって初めて胃の存在を認識することができる。
人は目が悪くなって初めて目の存在を認識することができる。
それと同じで、人は自分の人生の調子が悪くなって初めて人生というものを認識することができる。
彼は人生というものを真剣に考える機会を与えられた。
とても素敵なことではないだろうか。
仮に、もしなんら障壁のないまま、ルッキズムという概念すら分からないまま楽しく生きることができても、人生というものについて考える機会をひとつ失っていることは間違いない。
つづく