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答え:節約は財布を守っても、未来を失わせるから
人はなぜ節約するのか。浪費を防ぐため、老後の不安に備えるため、あるいは一種の「美徳」として日常を律するためだろう。しかし奇妙なことに、節約すればするほど、かえって貧乏に近づいていく人が少なくない。節約は、表面上は財布を守るはずの行為だ。だがその裏側で、時間、機会、関係性、そして自己肯定感をむしばんでいく。タレブが言う「予期せぬ副作用」「非線形の跳ね返り効果」を思い出さずにはいられない。
節約に徹する人は、買うべきものを買わない。だが買わなかった分だけ損をすることがある。古びた靴を履き続けることで姿勢が歪み、病院にかかる費用が増える。最安値の食品を選んで健康を損なう。激安セールで手に入れた電化製品はすぐに壊れ、結局ふたたび出費を迫られる。これを「安物買いの銭失い」と片付けるのは容易だが、もっと深い構造が潜んでいる。節約とは、未来の可能性を現在のわずかな得に換金する行為なのだ。そこにリスク調整の思考はなく、たとえ小さな節約を積み重ねても、突発的な損失で帳消しになる非対称性が待っている。
タレブが『反脆弱性』で説いたように、世界は予測不能な揺らぎに満ちている。節約型の人間は、揺らぎを恐れてひたすら削ぎ落とす。だが削ぎ落とした分だけ、想定外の変動に対応する余力を失う。節約は「守り」ではなく「縮小」である。縮小は柔軟性を奪う。柔軟性を失った人間は、小さな変動であっさり倒れる。節約する者が「予期せぬ支出」に追い込まれやすいのは、この構造的な脆弱性のせいだ。
また、節約を続ける者は往々にして「拡大のチャンス」を掴まない。安定した現状維持を優先するあまり、リスクを含んだ挑戦に背を向ける。出会いの場に出る交通費を惜しみ、人脈を広げる機会を失う。研修費用を削り、スキルの成長が止まる。新しい道具に投資しないから生産性は停滞する。気がつけば「節約しているつもりが、稼ぐ力を自ら削っている」という逆説の罠に陥るのだ。タレブ的に言えば、節約は「テールリスク(極端事象)」に備えるどころか、自分を平均以下に固定する作用をもっている。
節約志向はまた、精神の視野を狭める。人は支出を削ることに慣れると、「支払わないこと」に快感を覚える。財布を守る喜びが小さな中毒となり、消費や投資に対して一律の忌避反応を示すようになる。だが、人生はそもそも「適切な浪費」を内包することで豊かさを増す構造になっている。愛する人との食事、無駄に思える旅行、気まぐれに買った本――それらは長期的に見れば「無駄ではない無駄」だ。節約人間はこうした無駄を切り捨てる。結果、記憶のストックが痩せ細り、人間関係も希薄になる。節約の副作用は、経済的な貧しさよりも、経験の貧しさ、関係の貧しさに直撃するのだ。
さらに皮肉なことに、節約を徹底する人ほど「見栄」に弱い。日々の小銭をケチることで、無意識に「大きな一発」で名誉を回復しようとする。格安スーパーで1円単位の節約を続けた後、ブランド品でドカンと散財する。徹底した節約の背後には、「いつかは爆発したい」という抑圧が潜んでいる。人間は完全な合理性の生き物ではない。欲望は抑圧されるほど歪み、制御不能な形で噴出する。結果、節約者は浪費者に劣らぬほど極端な支出を経験する。これを社会心理学では「節制の反動」と呼ぶが、タレブ的に言えば「制御されたシステムが制御不能なブラックスワンを生む」ことの縮図だろう。
節約が美徳とされるのは、表面上は分かりやすい規範だからだ。節約は即効性がある。今日ケチれば今日お金が残る。だから「自分は堅実だ」という錯覚に浸れる。だが、その堅実さは短期的な自己満足でしかなく、長期的には「見えないコスト」を積み上げる。健康コスト、機会コスト、関係コスト、時間コスト――これらは節約という名の節約では賄えない。
ここにもう一つ重要な視点を加えたい。それは「節約は防御ではなくシグナルだ」ということだ。周囲は節約している人を「余裕のない人」と見なす。自らが発信しているのは「私は貧しいから守りに入っています」というシグナルだ。すると他者は自然と「この人には投資できない」「この人に機会を与える必要はない」と判断する。節約は他者からの援助や好意を呼び込むどころか、逆に遠ざけてしまう。これは厄介な自己強化ループだ。節約者は貧乏のシグナルを発し、そのシグナルによって本当に貧乏を引き寄せる。まるで予言の自己成就のように。
もちろん、浪費すればいいと言っているのではない。浪費もまた破滅の道だ。だが節約という表向き健全な行為が、実は浪費と同じか、それ以上に危険であることを見抜く必要がある。タレブ的に言えば、必要なのは「節約」でも「浪費」でもなく、「選択的な放縦」だ。すなわち、取るべきリスクには惜しまず金を投じ、不要なリスクには一切手を出さない。そのためには、支出の一つひとつを「将来的に非対称なリターンをもたらすか否か」という観点から判断しなければならない。
節約で得られる安心は、一瞬で消える幻影にすぎない。節約で失う未来は、じわじわと現実を侵食していく。もし「貧乏」とは単なる金銭的状態ではなく、選択肢の欠如、関係の欠乏、時間の浪費を意味するのだとすれば、節約こそが最大の貧乏生成装置となる。人は節約を通じて「生き延びること」はできるかもしれない。しかし「生きること」そのものを切り捨ててしまうのだ。
最後に・・・
あなたの節約は、本当に富へとつながっているだろうか?それとも、未来を切り捨ててはいないだろうか。