参考記事
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答え:破滅。
一見すれば、勝ちは積み重ねるほどに安全に思える。小さな勝利の連続は、やがて大きな成果につながる──学校でそう教えられ、企業はそう説き、自己啓発書はそう歌う。「コツコツが成功の秘訣」。だがこれは最大の欺瞞である。なぜなら、小さな勝ちを積む構造は、**「たった一度の大きな負けで帳消しになる」**という非対称性を抱えているからだ。
コイントスで毎回1円勝ち続けても、1000回目に全財産を失う賭けを引いた瞬間、すべては消える。人は「平均勝率」を見て安心するが、タレブが強調したのは**「非エルゴード性」**──つまり、個人の時間軸においては「平均的に勝つ」ことが「必ずしも生き残ること」ではない、という事実だ。
勝ちを積む者が陥る幻想
なぜ「小さな勝ちの連続」が危ういのか。それは人間が「慣れ」に弱いからだ。
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小さな勝ち → 安心 → レバレッジを上げる
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小さな勝ち → 習慣化 → 危険信号を見逃す
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小さな勝ち → 自己物語 → 「自分は負けない」と信じる
この積み重ねがある日、「破滅」へと一直線に接続する。
投資家は小さな利益を得るたびにリスクを大きくする。社員は毎日の残業で「自分は大丈夫」と思い続け、ある日過労死する。恋愛でも「小さな妥協」を積み重ねることで、最終的に自己崩壊へたどり着く。勝ちを積むことは「破滅を遠ざける」どころか「破滅の条件を積み上げる」ことになりうるのだ。
破滅確率の数学
タレブはこれを「ルインの問題」と呼ぶ。ルイン=破産。たとえ勝率が99%でも、1%の破滅リスクが繰り返されれば、時間の経過とともに破滅は必然となる。「確率1に近づく破滅」──これが小さな勝ちの副作用だ。
ギャンブラーの破産問題は古典的だ。毎回の勝負は小さくても、資金に比べたリスクが一定なら、いつかは破滅に行き着く。勝ち続ける人ほど「自分は負けない」と錯覚するため、リスクを見直す機会を失う。この構造が、金融危機やバブル崩壊だけでなく、日常の生き方そのものに潜んでいる。
仕事と人生の文脈で
「小さい勝ちを積むほど破滅に近づく」──これは仕事においても残酷な真実だ。
毎日の小さな成功体験(昇進、評価、賞与)が、実は「辞められない罠」になっていく。積み重ねた勝利が、ある日突然のリストラや倒産でゼロになる。むしろ積んだ分だけ損失は大きくなる。
人生全般においてもそうだ。「小さな勝ち」=「習慣の強化」。貯金、資格、地位。これらは表面的には積み上がるが、社会制度の変動や健康の崩壊、不可避の偶然によって、一撃で失われる。選択肢を狭め、依存を深めることが「勝利」と錯覚される。だが依存こそが破滅を呼び込む。
読書日記アプローチ的逆説
ここで私は本を思い出す。読書とは、単一の正解を積み上げることではなく、分散経路を作ることだ。もし「勝ち本」──つまり一冊の「人生を変える本」だけに依存すれば、その本が崩れたときに思想は全壊する。小さな読書の積み重ねが、逆に「破滅的無知」へつながることもある。
だが、多様な本、多様なジャンル、異質な声を読み込むことは「小さな誤配」を増やす。これが反脆弱性を生む。つまり、「小さな勝ち」の積み重ねが危ういのは、それが常に同じ形式で繰り返されるからだ。分散と冗長性を持たない勝ちの連続は、ただの破滅準備運動にすぎない。
タレブ的反論と実践
タレブならこう言うだろう。**「小さな勝ちを積むな。小さな負けを積め」**と。小さな負けを積み重ねれば、大きな勝ちは偶然訪れる。だが小さな勝ちを積み重ねれば、大きな負けは必然訪れる。凸性(コンベクシティ)は「損失を限定し、利益を無限化する仕組み」にある。
日記的に言えば、失敗談こそが反脆弱な知恵だ。小さな勝利の自慢は破滅を隠すが、小さな失敗の記録は破滅を遠ざける。だから私は「勝ち本」より「失敗本」を読み、「成功談」より「失敗談」に耳を傾ける。
結論
なぞなぞは簡単に答えられる。「小さい勝ちを積むほど近づく最悪は?」──答えは破滅。だがその奥には、タレブ的世界観が広がっている。
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小さな勝ちはルインを準備する
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小さな負けは反脆弱を育てる
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分散こそが生存戦略
「勝ちを積む」のではなく、「失敗を分散させる」こと。これが中間層の罠を抜ける道でもある。なぜなら中間層とは「小さな勝ち」に依存する層だからだ。そこから抜けるには、「小さな負け」を喜んで引き受ける勇気が必要だ。
さいごに・・・
あなたの“小さな勝ち”は本当に勝ちですか?