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便利になるほど脅かされる自由は?

参考記事

 

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・・・・・

答え:選択の自由。

文明は便利さを約束するたびに、人間の自由を削り取ってきた。最初はわからない。むしろ逆だ。ボタンひとつで電気が点く、アプリひとつで食事が届く。便利さは確かに快適さを提供する。だが、その快適さは必ず「選択肢の縮小」という裏面を伴う。気がつけば、我々は「便利」という名の牢屋に住んでいる。

スマホを見ていれば、店を探す必要がない。検索すれば、考える必要がない。AIに質問すれば、書く必要がない。これは素晴らしい進歩のように聞こえる。だが皮肉にも、選択を代替されるたびに、人間は選択する自由を失う。やがて「選ばなくても済む社会」は「選べなくなる社会」に変わる。


コンビニは牢屋である

コンビニは便利だ。24時間空いていて、何でも揃う。だがコンビニが普及した結果、町の個人商店は消えた。選択肢は増えたように見えて、実際には「コンビニで売られているもの」以外を選ぶ自由を失った。おにぎりも、サンドイッチも、同じ工場から出てきた均質な商品であり、違うように見えて同じ。

つまり、便利さが市場を統一し、差異を排除する。選べる自由は増えたように見えて、実際には「その範囲の中でしか選べない」という檻に閉じ込められる。これはブラックユーモアというよりブラックリアリティだ。


自動化は自由の窒息装置

車の自動運転が導入されれば、人間はハンドルを握る自由を失う。合理性のために「人間の判断は危険だから」と排除され、選択肢は「乗るか、乗らないか」だけになる。

銀行も同じだ。ネットバンキングは便利だが、窓口は減り、現金という自由は縮む。キャッシュレス化は効率的だが、同時に「匿名でお金を使う自由」を剥奪する。つまり、便利の名の下に、リスクを抱える自由が奪われていく

タレブ風に言えば、「便利さは凸性を消す」。つまり、不確実性に曝露されるオプションを潰す。これがいかに危険かは、ブラックスワンが来たときにわかる。


便利な制度が人を不便にする

社会保障も便利さを約束する。「あなたは考えなくてもいい。制度が守るから」。だが、制度が破綻したとき、人々は「自分で選ぶ」力を失っている。教育も同じだ。便利なカリキュラムが整備されるほど、学ぶ自由は奪われる。

これはブラックユーモアだ。**「あなたのために選んであげます」**という言葉ほど、不自由を宣告するものはない。


日常の皮肉

  • 便利なリモコンが増えるほど、探すリモコンが増える。

  • スマホのアプリが増えるほど、スマホに支配される。

  • レコメンド機能が進化するほど、自分の嗜好は他人のものになる。

  • AIが進化するほど、人間の問いは退化する。

便利さは選択の外注だ。だが外注が常態化すれば、内在する自由は消える。自由を守るはずの便利さが、自由を不便にする。これ以上のブラックジョークがあるだろうか。


読書梟ワールド的視点

「読書する自由」も同じだ。便利な要約サービスが氾濫し、「10分で名著がわかる」と言われる。確かに便利だ。だがその便利さは「読む自由」を奪っている。ページをめくる、迷う、わからない部分に留まる──そうした迂回路こそが知の小路であり、反脆弱性を生む。

便利さは「短縮」を与えるが、短縮は経験の厚みを削ぐ。読書日記アプローチが大切にしているのは「誤配」「偶然」「寄り道」である。それは便利の対義語だ。だからこそ、読書は自由を守る。


逆説の結論

「便利になるほど自由は広がる」──そう信じて疑わなかった。しかし現実は逆だ。便利になるほど、自由は縮む。なぜなら、便利さは「選択する自由」を代理し、「失敗する自由」を取り上げるからだ。

タレブ的に言えば、**「不便はオプションであり、便利はリスクの集中」**だ。

  • 不便は回り道を許す。

  • 便利は一本道を強いる。

  • 不便は自由を増やす。

  • 便利は自由を奪う。

だから私は言う。便利を愛用するのはよい。だが、不便を愛することが唯一の自由の保証である。


ブラックユーモアの落とし穴

最後にもう一度、なぞなぞを思い出そう。
「便利になるほど脅かされる自由は?」
答え:選択の自由。

しかし実際は、すでに私たちはこの自由を失いつつある。電車に乗ればスマホに目を落とし、AIに問いを投げ、レコメンドに従って映画を選ぶ。そこに「自分で選ぶ」自由はあるか?

ブラックユーモアの真髄は、笑っているうちにそれが現実になっていることだ。便利は笑いながら人を縛り、自由を削ぎ落とす。私たちはその事実に拍手している。

 

 

さいごに・・・

あなたは最後に“自分で選んだ”のはいつですか?

 

 

 

 

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