こちらのつづきを読み進める。
二章では脳科学から暴力について考察された。
扁桃体は感情の抑制機能を司る。扁桃体がうまく機能しなければ感情は抑制されず暴力に繋がる。
また、大脳辺縁系がネットワークが活発な脳は感情の起伏が激しい。
セロトニンの受容体やテストステロンも暴力と関係がある。
いずれにせよ、人間は暴力に至るまでの閾値が他の類人猿よりも高い為、突発的に暴力に走ることは野生の猿より少ない。
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三章は家畜化に関する長い間の議論の検討がなされた。
まず犬とオオカミに注目する。
「飼い慣らされた」状態と、「家畜化された」状態を考える。
例え飼い慣らされたとしても、オオカミの頭をポンと叩いたことによって大ケガをした例が紹介された。
一方で、一般的な野生の犬は「飼い慣らされた」状態であれ、人間に対する攻撃性はオオカミよりも低い。
この2種の対比は後半で大きな伏線となる。
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人間が「飼い慣らされた」状態なのか、「家畜化された」状態なのかは自明である。
著者は、人間は「家畜化された」と考える。
何故ならば、犬とオオカミの例から分かるように、人間は少しの刺激では暴力に走ることはない。オオカミとは比べ物にならないほど人間は閾値が高い。(=大きな刺激がない限り暴力には走らない)
ブルーメンバッハという学者は、人間は「家畜化された」生き物であると考えた。
野性児ペーターの観察を巡っては思想家ルソーなどから批判を受けたが、結論としては反証に成功し、家畜化されたことを示した。
ところが、「何によって」人間は家畜化されたのかまでは明らかにされなかった。
ブルーメンバッハのあとに生まれるダーウィンはこの問題に頭を悩ませた。
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ダーウィンも人間が家畜化された生き物であることを認めた。
彼は歴史を参照し、人間が人為的に淘汰されることは不可能と示した。ゆえに人間は自然淘汰を経て家畜化されたと指摘する。
文化相対主義者ミードも同意した。
生物学が混乱していた時代には、人間は集団によって家畜化の度合いが異なるという説も普及し、ナチスや優勢学と結び付いてしまうこともあった。
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遠い時代にまで遡ると、人間の祖先は今よりも脳が大きく、身長が大きかったとされる。
相対的に今は小さくなっているとされる。
脳が小さくなったことによって逆に生き残る結果となった。
野性動物は家畜化されると脳が収縮することが確認されている。
著者によれば、犬がオオカミから進化した過程と今の人類が進歩した過程が相似しているという。
つまりは野性→家畜という流れを人類が経験したということである。
脳が大昔と比べて小さくなっているということも家畜化の説明になる。
ここまでが三章のまとめになる。
余談ではあるが、『human kind希望の歴史』において、脳が小さくなったことによって今の人類はネアンデルタール人を凌いだと書かれている。
つづく
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