現代では正義が分裂している。
リバタリアニズム、コミュニズム、コミュニタリアニズム、リベラリズムetc.
これは、「善」「善いこと」がひとつに定まらないことを意味するのだろうか。
今のところ、これらはイデアを否定できるようなものではない、と考えている。
というのも、資本主義という「枠組み」のなかでの「正義論」であるように見えるからである。
要するに、宇宙の外側が無い (ように感じる) のと同じように、資本主義にも外側が無い、つまり、資本主義という社会体制以外の世界秩序を想像しにくくしている状況にあると思われるのである。
資本主義は終わらない (ようにみえる) ため、外側の話については今のところプラトン『国家』の考えが優勢であると感じる。
お金を稼ぐことが必然的に「善いこと」であるならば、これだけ不幸に感じていたり、自殺する人が多いはずがない。
稼ぎたいが能力がなく働けない人にとって、「お金を稼ぐことは善いこと」という規範はあまりにも酷ではないか。
「善いこと」とは道徳と違う。
池田晶子氏は、道徳を「社会のルール」と位置付けた。
道徳は押し付けの性質を持つ。
現代社会において絶対的に「善いこと」が存在するだろうか。
あるかもしれない。
しかし、資本主義においては存在しないかもしれない。
模索する日々である。
つづく