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モリス・バーマン『デカルトからベイトソンへーー世界の再魔術化』読了

は書評のセンスがない。

今回はまとめつつ、だらだら感想を書いていく。

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・とりあえずタイトルの意味を回収

大昔の人は科学ではなく神話が秩序を生み、世界の緩衝材は神話であった。

現代は神話から科学へシフトした。世界の緩衝材は科学 (今のところ核のボタンを押さずにギリギリ勢力均衡状態にあるという意味で) であった。

 

 

デカルトから始まった主体/客体の二分法、つまり自然を主観から切り離して、客体として捉えたところから科学が始まったとされる。

ところが、心理学や精神医学で行き詰まっているように、心の定量化は途方もない作業に見える。いや、不可能ではないか。

つまりは、新たな認識論が必要とされる。その意味で「再魔術化」なのだな、と感じた。

 

 

・やっぱりアナロジーは強い

僕は世界をフラクタル構造として捉えている。

おそらく、関連する記事は20記事以上は書いた。

 

nainaiteiyan.hatenablog.com

 

認識そのもの自体、知識構造そのものがアナロジーによってのみ成立するという説もある。

 

この本でもところどころにアナロジーについて言及される。

例えば、ラッセルのパラドックスという、集合論に関する問題が、「テレビの内部そのものを映すテレビは存在し得ない」という具合にうまく表現されていたりする。

 

 

他にもいくつか例が紹介されている。気になるかたは是非拝読を。

 

 

・思い込み激しくなって戻れなくなる前に

結局この本は何を言いたかったのか。

後半部分に、人間の滅亡について言及されている。

地球が支えきれなくなるという表現があった。

おそらくエネルギーの問題と絡む。

 

 

本書では「参加する意識」という言葉が頻出する。

人は物事を学ぶときに、まずは「没入」する。

そのあとに、その没入体験をメタ的に学習することによって知識となる。

例えば数学では、まずは定理などは証明されたものとして、疑いなく受け入れることから始まるように。

 

 

その没入から抜けきれなくなることについて本書では言及される。

それは科学への過信と表現できる。

本書では暗黙知に目を向ける意義について言及されている。

つまりは、サイエンスは定量化にこだわりすぎて、何かを見落としていないか、ということだろう。

 

 

「心理学はこれから実証化に向かうのですが、、、」

と僕は大学院入学試験の面接で言われた。

もちろん、実証実験は大事に決まっている。ただ、それは「実務」に偏っている向きがある。

近年のアカデミズムはだいたいそんなものだろう。

「その研究は役に立つかどうか」

これが資本主義における、人間の価値が「役に立つかどうか」と相似関係になっていることは呆れるほど書いた。

このプラグマティズム反知性主義をなんとかしなければならない。

つづく