貯金とは、お金を使うためにするものだ。将来の安心、余裕ある生活、突発的な支出への備え──そう信じて人は口座にお金を貯める。だが皮肉なことに、貯金が増えれば増えるほど、お金を使えなくなる。通帳の数字が増えるほど、かえって財布の紐は固く締まり、消費は萎縮し、気づけば一生「まだ使うべきではない」と言いながら死んでいく。これこそ社会が仕組んだブラックユーモアであり、制度的罠である。
なぜそんな逆説が起きるのか。理由は単純だ。貯金は「失う恐怖」を育てるからだ。ゼロのとき、人は怖いもの知らずだ。所持金千円でもラーメン屋に入り、友達に奢り、ギャンブルに突っ込む。だが百万円貯まるとどうだろう。その百万円を減らすことが恐ろしくなる。百万円があることで、一万円の支出が「減った」という事実を突きつけてくる。通帳に数字が並ぶほど、それは「減点方式」のスコアボードに変わる。人は増える喜びよりも減る恐怖に支配される。だからこそ、お金が貯まれば貯まるほど、お金は使えなくなる。
これは心理学の「プロスペクト理論」に近い。人間は得る喜びより失う痛みを大きく感じる。百万円が百十万円になっても大して嬉しくないが、百万円が九十万円になるとひどく損をした気分になる。つまり、資産が増えた瞬間から、それを守ることに人生が支配される。貯金とは自由の蓄積ではなく、恐怖の蓄積なのである。
笑えるのは、社会がこの恐怖を「美徳」として称賛することだ。「節約上手」「貯蓄体質」「老後に備える堅実な人間」──そうした言葉が美徳を飾る。しかし実際には、貯金が多いほど身動きが取れなくなる。株式に投資できず、旅行に行けず、欲しいものも買えず、ただ口座の数字を守り続ける囚人と化す。制度はこうして人間を縛る。「貯金は正しい」という洗脳を植え付けることで、消費を抑制させ、経済を逆に停滞させる。生活のために貯金するはずが、生活を失ってまで貯金する羽目になる。
貯金にはもう一つのブラックユーモアがある。人は「老後のため」に貯金するが、老後になったときには「万が一がある」と思って使えない。結果、死ぬまで使わず、葬式代だけ残して旅立つ。日本には「老後破産」の反対概念、「老後溢余」が山ほどあるのだ。老人ホームの入居者はみな、通帳を握りしめながら、「もし病気になったら」「もし長生きしたら」とお金を抱え込む。だがその「もし」は永遠に解消されない。結局、最後までお金は「まだ使えない」と言い訳され続け、死後に相続されるだけだ。
タレブ的に言えば、これは典型的な「脆弱性の温存」だ。お金を貯めることは、リスクから自分を守っているようで、実はリスクに対してますます弱くなっている。お金を失う経験をしないことで、「減る」ことに極端に脆弱になる。小さな支出に怯え、大きな支出を先送りにし、結局、いざ必要なときにお金を動かせない。つまり貯金は「失敗から学ぶ機会」を奪う。損を経験していないから、損への耐性がゼロになる。まさに「反脆弱性」と逆を行く制度的愚行だ。
ここで思い出すべきは「生活防衛資金」という概念だ。三か月分の生活費を貯めよ、半年分の生活費を確保せよ──そう書かれたマネー指南書を信じ、多くの人が必死に蓄える。だが三か月分が貯まると、今度は「一年分が必要だ」と言われる。一年分が貯まると「老後資金が足りない」と脅される。終わりはない。制度は永遠に「まだ足りない」と囁き続ける。だから人は永久に使えない。生活を守るための貯金が、生活を奪う呪いに変わる。
ここに茶化しが必要だ。もし本当に「お金を使うために貯金している」と思うなら、通帳に記帳するたびに「これで寿命が一日減った」と書いておけばいい。そうすれば「使わないこと」がいかに馬鹿げているか分かるだろう。数字が増えるたびに人生は減っている。笑うしかない。
だが人間は笑わない。真面目に「まだ足りない」と言い続ける。笑えない制度は脆い。笑える人間だけが強い。貯金という制度を笑い飛ばすことで初めて、金は道具に戻る。笑えない限り、金は主人であり、人間は奴隷だ。
なぜ貯金をするとお金が使えなくなるのか。答えは簡単だ。貯金が目的化するからだ。お金は使うためのものではなく、貯めるためのものに変わる。通帳の数字を眺めること自体が目的となり、その数字を守ることが人生になる。だがその瞬間、人生は死ぬ。数字は生き延びるが、人間は生きていない。
だからこそ、誤配が必要だ。意味もなく金を使うこと。くだらないものを買うこと。見栄で奢ること。そうした無駄が金を再び生活に取り戻す。制度的には愚行でも、人間的には反脆弱な行為だ。金を減らすことで、減ることに耐える筋肉がつく。減ることを笑い飛ばすことで、金は再び「使うための道具」に戻る。
貯金は笑い飛ばすためにある。笑えない貯金はただの墓標だ。通帳の数字が増えても、それを守るために生きているなら、すでに死んでいるのと同じだ。
なぜ貯金をするとお金が使えなくなるのか。それは、制度が「使うこと」を禁じ、「守ること」を美徳としたからだ。そしてその制度に従順であるほど、人間は金に弱くなる。だが、笑える人間だけが金に強くなる。貯金を誤配として茶化す者だけが、生活を取り戻せる。
結局のところ、お金を使えるかどうかを決めるのは、通帳の残高ではない。笑いの余裕である。笑いがある限り、人は貯金を使える。笑いがない限り、人は貯金に使われる。
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