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なぜ働いていると区役所に行けなくなるのか

労働者にとって、区役所は最も遠い場所である。物理的には電車で十五分の距離かもしれない。だが心理的距離はマチュピチュよりも遠く、時間的距離は宇宙旅行よりも長い。なぜなら区役所の開庁時間は、労働者が会社で机にしがみついている時間と完全に重なっているからだ。朝八時半から夕方五時十五分。労働者が「ようやく今日も一日が終わった」と肩を落とす頃、区役所は「今日も一日お疲れさまでした」とシャッターを下ろす。この時間割の絶望的な非対称こそ、区役所を「都市伝説の建物」に変えている。
 区役所の存在は、常に謎に包まれている。そこでは住民票が交付され、印鑑証明が発行され、マイナンバーカードが更新されるという。だが実際に区役所内部を見たことのある労働者は少ない。目撃情報はある。「午前休を取って行ったら二時間待たされた」「昼休みに駆け込んだらすでに長蛇の列だった」など。しかしこれらはあくまで都市伝説の断片にすぎない。まるでUMAの目撃談と同じく、真偽は不明である。区役所はもはやネッシーであり、ツチノコであり、誰もがその存在を信じつつ、実際には行ったことがない。
 働く者が区役所に行けないのは、単に時間が合わないからではない。そこには制度と労働の深い癒着がある。たとえば転居届を出そうと思う。だが転居とは、引っ越しを意味する。引っ越しとは、段ボールを積み、電気やガスを止め、荷物を運び出すことを意味する。そしてそのためには、有給休暇を取らねばならない。つまり「引っ越しのために休む」と「区役所に行くために休む」は二重に重なり、結果として「休みすぎではないか」と上司に冷たい目を向けられる。区役所は、労働者の罪悪感を巧妙に増幅させる装置でもあるのだ。
 しかも区役所は「あなたのため」という顔をしている。窓口の職員は親切で、決して悪意があるわけではない。だがその親切さは、すでに疲弊しきった労働者にとっては拷問に近い。「こちらの用紙に記入してください」「印鑑をお持ちですか」「あちらの窓口でお待ちください」――それらの言葉は、じつに穏やかである。しかし労働者にとっては「今日の残業はさらに二時間延長です」と告げられるのと同じ重さで響く。区役所とは、笑顔で人を追い詰める場所なのだ。
 ときに労働者は「ならば土日に区役所を開けてほしい」と願う。だが土日に窓口が開いていることはほぼない。たまに「日曜窓口」と称して月一回だけ解放されることがあるが、そこにはすでに列ができ、朝から百人単位で並んでいる。区役所に行くために休日を潰し、並んでいる間に休日が終わる。これは「休日」という概念の否定である。休日に区役所に行くとは、休日を葬式に出すようなものだ。たしかに手続きは完了するが、休息は死ぬ。
 さらにブラックユーモア的なのは、区役所の手続きが「労働者の存在証明」であるという点だ。住民票、戸籍謄本、印鑑証明――これらはすべて「あなたはこの社会の一員ですよ」という紙切れである。つまり労働者は、自分が社会に属していることを証明するために、社会から引き剝がされねばならない。会社を休んで区役所に行くことで初めて「あなたは労働者です」と証明される。なんという悪質な循環だろうか。社会の証明は、社会からの一時離脱によってのみ獲得できるのだ。
 考えてみれば、区役所の建物そのものがブラックユーモアの固まりである。エントランスは広大で、椅子が整然と並び、番号札を発券する機械が鎮座している。これは監獄の待合室に似ている。人々は番号札を握りしめ、自分の番が来るまで延々と待たされる。だがその待ち時間は「あなたが社会の歯車である証拠」であり、「あなたはまだ完全には自由ではない」という暗黙の宣告である。区役所にいる間、労働者は「市民」として扱われる。しかし市民であるために、まず「労働者」であることを証明しなければならない。ここに二重の拘束がある。
 区役所に行けないことの究極の皮肉は、「行けないままでもなんとかなる」ことである。たとえば転居届を出すのが遅れても、しばらくは郵便物が転送される。印鑑証明がなくても、契約はなんとかなることが多い。マイナンバーカードを更新しなくても、生活は続く。つまり区役所の存在は「行かなくても大丈夫」な程度にしか重要ではないのだ。だが「行かなくてもよい」という油断が、結局「行けないまま放置」を常態化させ、そしていざ必要になったときに大爆発する。区役所は火山のように沈黙し、必要な瞬間にだけ噴火する。
 働いていると区役所に行けない。これは単なる日常の不便ではなく、制度が仕組んだ巨大なジョークである。労働者が社会を支える限り、その労働者は社会にアクセスできない。区役所はその矛盾を可視化する舞台装置であり、まさに都市のブラックユーモアの殿堂である。もし神がユーモアを好むとしたら、間違いなく区役所の開庁時間をデザインしたのは神である。神は人間をからかうために、平日の日中しか窓口を開けなかったのだ。
 だから我々は今日も働く。住民票を取りに行く暇もなく、印鑑証明を取りに行く勇気もなく、ただ働き続ける。気づけば歯医者にも行けず、区役所にも行けず、我々は労働という牢獄の中で、書類未提出のまま朽ちていく。最後に残るのは、社会にきちんと属していたという証明ではなく、「区役所に行けなかった労働者」という墓碑銘である。