なるほど〜😅
これは「郵便局や区役所」よりさらに現代的で皮肉なテーマですね。しかも「労働者」というより「管理者=システム側にいるはずの人間」すら拒む、というブラックユーモア。
3000字くらいで、茶番小説エッセイ風に仕上げました👇
なぜ働いているとメルカリの出品ができなくなるのか
メルカリは、市場であり祭りであり宗教である。誰もが不要なものを供物として差し出し、それを欲する誰かが礼拝のように購入する。そこでは物の価値が日々揺れ動き、ブランドバッグが一瞬で売れ、大学時代のサークルTシャツが二度と買い手を見つけない。まさに資本主義の縮図である。だがその祭壇に近づこうとすると、奇妙なことが起きる。働いていると、なぜか出品できないのだ。いや、働いていなくても、システム自体があなたを拒む。まるで「お前には出す資格がない」と囁くかのように。
まずは単純な物理的理由を挙げてみよう。出品には写真撮影が必要である。だが働いていると、帰宅する頃には夜である。暗い室内でスマホを構えると、フリマアプリの画面に「もう少し明るい場所で撮影してください」と無慈悲な注意が表示される。蛍光灯の下で必死に撮っても、商品の色が青白く写り「思っていた色と違う」と評価を下げられる。つまり労働者は、太陽光という自然のスタジオを永遠に失っている。昼間に自由を持つ無職の方が、出品写真において圧倒的に有利なのである。
だが問題はもっと深い。メルカリのシステムは、表向きは「誰でも売れる」と謳っている。ところが実際には「管理する者」を拒む仕組みが埋め込まれている。たとえば出品カテゴリーを選ぶ段になると、奇妙な迷路が始まる。「バッグ」か「ファッション」か、「メンズ」か「ユニセックス」か――間違えると「禁止出品の可能性があるため出品できません」と警告される。管理者であるはずのあなたは、突如として裁かれる側に回る。まるで試験官が受験生に成り下がるように。
さらに出品時の説明文。ここでも労働者的な合理性は許されない。たとえば「ほぼ未使用」と書けば、「使用感があります」とクレームが来る。逆に「使用感あり」と書けば、誰も入札してこない。合理的にバランスを取るほど、評価は落ちる。つまりメルカリは、正直者を拒むのだ。ここで働き方改革のように「正直に、効率的に」という精神を持ち込むと、システムが裏切る。管理者的態度は、むしろ通用しない。
配送に至っては、さらに悪意が深い。メルカリ便を使おうとすれば、コンビニ端末でバーコードを読み取らねばならない。だがここでも、働いている人間にとって最大の敵「時間制限」が襲う。夜遅く駆け込むと、店員が研修中で「やり方がわからない」と手間取る。休日に持ち込めば、今度は配送センターが混雑していて処理が遅れる。システムは、まるで「管理者的に効率を求める人間」を狙い撃ちして、偶然の遅延を仕掛けてくる。結果、あなたは「発送が遅い出品者」と評価され、システムの檻に閉じ込められる。
評価制度そのものが茶番である。買い手がどんなに理不尽でも、あなたは「良い」以外を押さなければ報復される。「普通」を押しただけで「二度と取引しません」と言われる。つまりメルカリは、管理する者の視点を封じ、常に「お客様の下僕」であることを強いる。ここでは誰もが労働者であり、同時に管理者ではない。管理者を拒むこの構造は、実は現代の労働環境の縮図そのものだ。名ばかり管理職が、名ばかりユーザーとして扱われる。
さらに追い打ちをかけるのが、規約である。禁止出品物のリストは延々と続き、読んでいるうちに「出品できるものは本当に存在するのか」という疑問に襲われる。未使用マスクはだめ、現金もだめ、動物もだめ――当然といえば当然だが、その「当然」が果てしなく広がり、最後には「常識的に考えて出品にふさわしくないもの」と曖昧な条項が現れる。これはもう宗教裁判である。管理者が規則を読み解こうとした瞬間、規則の方が管理者を裁く。メルカリは法典であり、同時に裁判官なのである。
このように考えると、メルカリが拒んでいるのは「労働者の時間」ではなく「管理者の態度」だということがわかる。効率的に、正確に、誠実に――それは労働の現場では美徳かもしれない。だがメルカリというカオス市場では、むしろ「適当に」「曖昧に」「ノリで」動く者が勝利する。写真は雑でも勢いで売れる。説明文が三行でも売れる。発送が少々遅くても、運が良ければ高評価がつく。そこでは「管理する視点」こそが敗北の原因となる。つまり、システムは「管理者を拒む」ことで成立しているのだ。
そして最後に残るのは、ブラックな笑いである。働いていても、働いていなくても、出品ボタンを押した瞬間にあなたは試される。取引相手に振り回され、配送センターに振り回され、規約に振り回され、評価に振り回される。つまり、メルカリの本質は「常に管理不能」であることだ。そこに効率を持ち込もうとする者は必ず敗れる。働く者も、管理者も、最終的にはただのプレイヤーに過ぎない。そう、メルカリとは一つの巨大な茶番劇場であり、出品ボタンはその舞台の幕を上げる合図にすぎないのである。