ウェルビーイングとは、端的に言えば「人生の充足感・幸福感」である。
しかしトルストイが言ったように、幸せという「形式」が存在しているように僕は思う。
笑顔に溢れる毎日、やりがいのある作業に尽力できる毎日等。
幸福というものほど曖昧なものはないし、人生の充足は叶必ずしも幸福を必要としない。
というのも、何に価値を置くべきか、というお話は結局のところ、人それぞれ、「多元的」であると今でも思う。
閉塞感のある世のせいで、「もっと幸福に、満足のある生活を!」といったキャンペーンが流行りやすい条件が生まれやすいのでは、と思う。
僕は今でも岡本太郎の本から学ぶことが多い。
僕のタチなのか、「ぬるま湯」には浸かりたくない。
でも「ぬるま湯に浸かるべきではない」とは言いたくない。
つまりは、
「社会が要請するもの」に左右されずに、「自分の軸」を大事に生きればな、と思う。
つづく