読んだ本:
つづきを読みすすめた。
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メモ
なし
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日記
本書の山場と思われる章を読んだ。
学者の意見と素人の意見がぶつかり合い、弁証法のように新しい案が生まれる。
例えば、素人はカントの使う専門用語が文章に散りばめられると読む気が失せてしまう。
駒井氏はそれを使わないで書けるかどうか相談。
しかし学者は専門用語のない新訳を読んだところで、別の著書を理解できないと指摘。
駒井氏は上司の言葉を思い出す。
かたちだけの新訳などいらない。
そして専門用語のない新訳が生まれた。
ハッとしたのは、ドストエフスキーの読みにくさは人名にあると著書も感じていたということであった。
読めないのは読解力がないからではない。
救われた気持ちになった。
編集者や翻訳家にも責任があるのではないだろうか。
そのように常識を疑うことで、新しい作品が、新しい価値が生まれる。
考えさせられる読書体験であった。
つづく