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生きづらさあれこれ

故生きづらさを抱える人が多いのか。

少し考えてみてた。

日本は部分的に「価値観押し付け社会」でもあるように思われる。

 

 

同調圧力という言葉がある。

これは、ある角度からみれば「私たちの価値観に従うべきである」という意識が隠れている。

従って、この「~べき」という言葉が「圧力」の意と等しいことが推察される。

 

 

大きな全体像から狭い社会について考えてみた。

職場を想像してみる。

この価値観押し付け型人間ともいうべき人物はどのような特徴を持つか。

それは、いうまでもなく「オレの意見に従うべきである」という性質である。

 

 

 

したっぱの人間には権威がないため「圧力」は存在しない。

故に、職場においては「課長」「部長」に相当する人物を思い浮かべることが望ましい。

部長たる人物が「オレの意見に従うべきである」という場合、やはりそれは「圧力」を伴い、彼の価値観を押し付けるものでもある。

従って、狭い社会における「同調圧力」なるものは、上司による価値の押し付け、つまりは「命令」に近いとも受け取れるはずである。

 

 

「マスクをしましょう」

同調圧力が「命令」と似たような意を持つことは、この狭い社会の原理と同じである。

何故生きづらいのか。

それはいうまでもなく、「オレの価値観は正しい」という前提が隠れているからである。

権威のある人物は「内省」が少ない。

 

 

それはちょうど、内省する時間がないほどに仕事に追われ、キャパシティのない無能な部長に相当するものであると思われる。

内省が無いのだから「配慮」が生まれる道理はない。

かくして、パワハラを受け、心がズタズタになったしたっぱのごとく、「生きづらい」と嘆く人間がこの「同調圧力」の社会において生まれてくる原因であるように思われるのだ。

 

 

つづく

 

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この記事と関係のある本

雨宮処凛『この国の不寛容の果てに』

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