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「時間を有効に使う」という奇妙な表現

の表現には受動的なものを感じる。

つまりは、システムとして時間が与えられ、その与えられた条件・制約のもとでいかに行動を組み立てていくか、というある種のパズルゲームに見えてくる。

時間という波にのっているように見える。

 

 

発想の転換が必要である。

 

 

 

例えば、何を持って有効に使えたのか、という問いに向き合ってみる。

それは、例えば1時間で終わる仕事を45分で終わらせるだとか、無駄な時間を省くだとか、時間を「消去」していくプロセスに見える。

 

 

 

時間を消去することは時間を作ることでもあるという、裏表の関係のような二分法に当然ぶちあたる。

であれば、この二分法をも越える発想はなにかできないだろうか。

 

 

軸を複数用意する。

例えば、僕であればそもそも「時間を有効に使う」という発想を捨てる。

先程も書いたが、それはつまり、魚が水を客観的に知ることができるか不明であるように、時間というものにとらわれている限りにおいては、いつまでも時間について客観的に知ることができない可能性があるという突飛な発想である。

 

つづく