差別は人間の基本的な機能である、五感から生まれるのではないだろうか。
そのほとんどは視覚的なものが占めるだろう。
その五感と対をなすのは「言語」であると思われる。
例えば、非言語とされるものは五感に頼ることが多いように見える。
声、合図、態度etc.
目には目をという言葉がある。
同等の仕打ち、という意味のようである。
僕が思うに、五感で差別されたものを、五感で斥けようとする運動は失敗に終わるのではないのか。
それはやられたらやり返せの発想で、常にどちらかが攻撃側にある限りにおいては、いつまでも争い事が終わらないように思われるのである。
つまり、ここは言語上の解決策が妥当ではないのか、というのが僕の見立てである。
なかなか難しいところではあるが、
例えば、魚が水に気づけないような仕方で、五感に支配された人間にはその五感の実態は見えない、という僕なりの仮説である。
少し抽象論に走ってしまったが、また後日まとめたい。
つづく