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性産業・売春についての再考『往復書簡 限界から始まる』上野千鶴子 鈴木涼美を読んで

こちらも一年以上前の記事なのでよろしければこちらもご覧ください。

nainaiteiyan.hatenablog.com

 

 

 

 

前の稚拙な記事を再考した。

 

nainaiteiyan.hatenablog.com

 単なる思い付きで書いたので堪忍いただきたい。

 

意思を持った人のことを以下「主体」とする。

まず初めに問うのは、主体には判断力があるかどうかである。

言い換えれば、自由な意思はあるのか、否か。

 

当然、若すぎる主体にはない。それは少年法をみても、社会的に認められていると思われる。

 

性産業はそういった主体を囲う、ある種の包囲網である。

そういう社会構造があるとみなせる。

 

その社会構造は、歴史的に形成されたと思われる。

しかしながら、性産業自体、それは近代から現代の話である。

太古とはまた異質なものであるとみなせる。

価値を交換するための売買は大昔からあったはずであるためである。

 

本質をとらえるには、大昔から順を辿って、歴史的にみるのが必要不可欠と思われる。

しかしながら、大昔の文献はない。

 

僕が思う限界は、学問的なアプローチには限界があるのでは、ということであった。

社会構造から説明するアプローチはマクロ。

認知科学脳科学心理的なものからアプローチするのはミクロ。

 

統合してはじめて説明がつくと考えられる。

 

つづく