格差問題を考えると避けられないテーマが「競争」となる。
酷な言い方になってしまうが、子供は生まれた瞬間から競争で満ちた世界に放り出される。競争に強い子供にとっては非常に楽しい世界かもしれない。
「反出生主義」の人間は一様ではないが、ドストエフスキーような悲観を併せ持つ人間であれば「こんな苦しい世界に生まれるなんて可哀想だ」という発想になってしまう。
だから「産むべきではない」という極端な発想になる。
であれば社会を変えれば済む話ではないか。改革についてどの程度まで思考を及ばせたのか。限界以上に考えたのか。ハンディを背負った人にどういうアプローチや介入が可能か。考えるべきこと、行動すべきことは山ほどあるようにみえる。これを放置した反出生主義の人間はいかなる意見においても説得力はない。
競争は避けられないのか、避けられるのか。
これは自分で選べるようにもみえる。
さきほど『人生を<半分>降りる』という本を読んでみたが、競争から「降りる」という選択肢もあるのが現代の素晴らしい点ではないだろうか。
「足るを知る」ことができ、「汝を知る」ことのできる人は器用に生きることができるように僕は思える。
しかしながら、そのやり方を取得するのが壁となる。
僕自身に関しては、28,9年の歳月を費やした。
実は逆説的に、本当にうまくいく人は競争のない世界にいるというものがある。
ブルーオーシャンを見つけた人間は経済的に成功をしている。
競争をしている人は愚かだ、と断言する人もいる。
以上から競争というのも簡単には語れないことになる。
僕は競争についてそこまで語れないが、とりあえず幅が広いことは理解できたつもりである。
つづく