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読書日記682

読んだ本

引用元:版元ドットコム

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文学に意義はあるのか

テリー・イーグルトンは、『文学とは何か?(上)』のなかで、文学と権威について書いていた。現在のところ英語英文学部なるものは、起源を辿ればある側面では権威を渇望する学者たちの運動の末に生まれた産物でもあるとされる。

 

 

文学そのものを研究することに何の意味があるのか。

そして「文学理論」とはいったいどんな行為を指し、どんな意義を持つのか。

下巻の最終章でそう問いかけた。

 

 

イーグルトンによれば、文学理論とは、文学と文学批評の本質を考察する理論であるという。

しかしながら、文学作品が取り上げる内容は多岐にわたる。

政治、医療、歴史、産業、自然など、ありとあらゆる人間の営みを対象とする。

また、文学批評の方法論も多岐にわたる。上巻であげられたように、現象学構造主義ポスト構造主義等、共通する要素がない。

 

 

イーグルトンによれば、これらには一貫性がまったくなく、文学理論なるものは主体性に欠けるのだという。

 

・・・

 

 

哲学者であり文芸批評家でもあったツヴェタン・トドロフは「理論至上主義」から「人間救済の文学」への転回を試みた。

フランスでは教育とイデオロギーが文学を毒しているとトドロフはみなした。

言葉には人間の「共通感覚」が含まれている。

連帯感という観点から彼は世界的、政治的に混乱した20世紀を生き抜いた。

 

・・・

小林秀雄とフランス文学

二宮正之氏によれば、若年における小林秀雄のフランス文学との邂逅がのちの『本居宣長論』に寄与したのだという。

また、ランボーとの出会いなくして宣長論はなかったとも述べている。

 

 

批判精神に満ち、どこまで疑い懐疑精神をもって物事を分析することを教育で叩き込まれたフランス人の文化性が、小林秀雄の批評人生に影響を及ぼしていることは間違いない。

 

・・・

 

批評は知識人の遊戯ではない

文学はいうまでもなく言葉による作品である。

音楽、芸術は知覚を通して感性に訴えてくる。

しかし言葉は直接、生身の身体にぶつかってくる。

表現の方法は多様なれど、言葉そのものである人間に言葉でぶつかり合う。

 

 

人それぞれが何を思い、どう感じ、それがどのように今後価値付けられていくのか。

そんなことは批評家に頼らずとも自ずと開いてくる。

 

 

文学とは何か?

それは歴史を伴った流動性あるなかにおいて、一人一人の作家たちが普遍的な要素を無自覚的に、かつ感覚的に抽出する営み、創造する行為であるように感じた。