こちらを読み進める。
センは経済学者の論理的欠陥を指摘する。
実践的な観点から分析をする際に、経済学者はどうしても単純化かつ容易にしてしまう傾向があるのだと言う。
所得と自由は単純な直線関係にあるのではない。
得られたお金に対して、それをウェルビーイングや自由に変換する能力は個々等しくない。
給料をうまく効果的に使える人と、無駄にしてしまう人がいることは日常的な経験から分かる。
一見、所得が等しければ自由度も等しいようにもみえる。
ところが、その得られた所得でも十分に達成できるような目的において、後者は何らかの能力が不足していることによって達成できない場合がある。
例えば、旅行などで、何らかの制度を利用すれば割安で行ける場合、その情報にアクセスする能力の無い者ははじかれてしまい、目的を達成できない。
つまり、自由を享受するには、そこに所得を自由に変換する能力が問われる。
ここまでで、所得と自由は単純な二項対立ではないことがわかる。
その所得を得る際にも、様々な変数が存在する。
センによれば、結果を成し遂げるための自由度が個々違うので、所得を論じる際には「効率」を考えねばならないとする。
営業で考えるとわかりやすいかもしれない。
出来高制を考える。
営業は人間性が問われる。
また、自分の努力ではどうしようもない要素も多数絡む。
容姿、体型、声の質etc
これを鑑みれば、成果を成し遂げるための仕事量、努力の量が個々違うことが分かる。
かくして、不平等を検討する際には「効率」「自由度」「所得」「変換能力」など、考えるべき論点、概念が多いことがわかる。
つづく