僕が「幸福」と「人生」を考える際に未だに忘れられない言葉は、
『夜と霧』の著者、フランクルの言葉である。
「人生はどんな状況にも意味がある。」
この言葉が綺麗事に聞こえる場合、それは何を暗に意味するのか。
アウシュビッツでを最後まで生き延びた人の特徴として、最後まで希望を捨てなかった人というのが挙げられている。
そして考えるべきものは、希望は何によって生まれるのかということである。
希望は与えられるものなのか。希望は作り出すものなのか。
希望が与えられるというのは、厳密にはおかしい。
希望は個人の感情のひとつであり、文法的には希望を持つ、が正しいと思われる。
笑いもそうである。漫才を見て笑いが与えられるとは言わない。
つまり、希望は能動的に生まれるものであり、それは与えられるものではないと言える。
では何によって生まれるのか。
自然発生的に生まれるものでもあるかもしれない。
しかし、能動的である限り、それは何らかの行動が生み出している可能性が高い。
身体と気分が連動していることは、今日認知行動療法の基本的な考え方である。
であるならば、気分が身体と分離している可能性は低い。
ここまでを鑑みると、希望というものは自発的に発生する可能性が高い。
つまり、幸福は自発的に生まれ、対極にある不幸は非自発的である可能性が高い。
あらゆる私有財産を奪われても、人の精神までは奪われなかった、という逸話があった。
フランクルの言葉が意味するもの。
それは、考える力が幸福を生み出すということではないだろうか。
そして、何が不幸を生産するのか、という問いは、考える力が無くなっていくことによるものだと僕は考えるのである。
つづく
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