はてなブログ大学文学部

読書日記と哲学がメインです(毎日更新)

誇大妄想的な妄想

がこれから書くことは、

「頭おかしい」

躁状態なのでは」

と思われるかもしれないが、とりあえず僕は思ったこと、感じたことを許される範囲でブログに残していく。そのスタンスは2年前から変わらない。

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プラトンについては、僕はあまり興味はないし、一元論的な「イデア」のアイデアも斬新だな、とも思わない。

 

かといって、現代の哲学の主な「科学哲学」「心の哲学」「自然主義」「四次元主義」「ネオプラグマティズム」にも共鳴しない。

 

僕にとっては、哲学は思考の材料に過ぎない。今となっては、哲学を説明したり紹介することにも特に面白味を感じない。

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僕はここ最近、「源泉」、「自然」、「神秘」の3つに興味が移っている。

 

それらは資本主義で説明できるものもあれば、心理学でも説明がついたりする。そして生理学でも説明はつく。

ところが、盲目的な領域が多数存在することもまた事実ではないだろうか。

 

 

ニュートンは重力の作用の仕方については十分説明を行ったが、そのメカニズム自体(重力波のようなもの)には説明してこなかったように、現代科学でも同じようなことはいくらでもある。(セロトニンうつ病のようなお話)

 

 

例えば、僕は倫理学を突き詰めれば「美」の領域にたどり着くと思うし、普遍的な「道徳」の法則の輪郭は、芸術、特に音楽や絵が唯一の共通言語であるような仕方で存在しているかもしれない。

 

 

こういうことは、この100年間でいくらでも研究され尽くしたかもしれない。

僕が理解できないような仕方で論じられているかもしれない。

 

 

僕は自然というものに身を置くことによって、「神秘的」に近い体験、ある種の「カタルシス」を得ることができることを知っている。

快楽とは違い、そこには「引力」がないように思える。

むしろ「解放」に近い。快楽は重力であって、束縛・不自由の象徴である。

 

 

僕が突き詰めたいことはいくつかある。

例えば、まずひとつとしては、美という共通感覚、共通言語の挙動、そしてそれが精神医学、心理学の内部に作用する力学の解明である。

 

しかし時間は有限だ。あまりにも短すぎる。

その過程では何かを捨て、何かを選びとるしかない。

 

 

できる限りブログに進捗状況を書き残していく。

 

 

だらだらと語ってしまったが、とりあえず頭が冴えている時にまたまとめたい。

つづく