こちらを掘り下げたいが、結論が見えないので考えるヒントのほうに分類しておく。
近年まで重力波は装置でとらえきれなかった。
それは、あまりにもセンサーに反応しないくらい微細なものであったからに違いない。
僕は思うに、哲学者は閾値を下げすぎるがゆえに、掘り下げ過ぎるがゆえに、「誤差」のようなものが生じてはいやしないか。
埃も多少の質量がある。
重さを量りたいものがあったとして、埃よりも軽ければ埃の存在がやっかいになる。
哲学も似ていて、実在論とか実証主義を天秤にかけながらも、何か誤差が生じていて結論が飛躍しているのかもしれない。
それは化学の実験では致命傷になりかねない。
言語もしかり。
つづく