自分自身は、自分についてどの程度知っているだろうか。
おそらく、「分からない」ではあるものの、
全く分かっていない、とまでは言い難い。
自分の長所短所を挙げることはできる。
好きな食べ物、嫌いな食べ物も分かる。
何が得意で何が苦手も分かる。
自分自身 ( ≒ 自我 ) を「分母」、分かっていることを「分子」に置き換える。
[分かっていること/自分自身]
考えること、理解すること、知識が「自我」を知る材料となる。
勿論、全てを知ることは不可能である。
これを極限で考える。
人間の記述不可能性について僕は書いた。
人間を性質に還元できないのは、それが「無限」に近いからだと考えることもできる。
したがって、
自我⇒∞
となる。
自分について分かっていることは、これからも増え続けるし、減るかもしれない。
つまり変数と見なせる。
分子として設定した「分かっていること」をxと置くと、
[x/∞]
となる。
つまり、自我を極限まで突き詰め、全てを解明したあかつきには、
[∞/∞]
となり、
1となる。
完全に自己と一致するわけである。
つづく