落合氏の、「議論はし尽くされても変わらないので、テクノロジーのみが地球を変え得る」という主張を再考。
おそらく、それは「狭義」の意味での議論のことであると思われる。
というのも、彼の言う「議論」とは、環境問題に関する議論や政策に関する議論、のように「限定的」であると考えられる。
換言すれば、環境問題を変えるために必要な議論の総体。
確かに、時間がないという意味ではテクノロジーのほうが優先されるべきである。
僕も同意する。
しかしながら、僕はこう思う。
というのも、番組の時間の制約上、どういう議論がし尽くされたのかを彼はハッキリのべていない。
(weekly ochiaiに加入していないので、もし別の番組などで詳細に述べているとしたらこの記事をすぐに訂正、お詫びをする。)
そして、どの議論がどの程度必要で、どういう人間たちがどの程度まで深く議論してきたかすら視聴者には伝わっていない。
観る側としては、簡単に結論付けるときはせめて、どんなテーマを何十年論じてきたかくらいは提示してほしいものである。
つづく