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人間不信に関して。性質の記述不可能性と絡めて。

も信用できない」

昔、同級生にそういう女子がいた。

 

 

哲学的に考えてみる。

そもそも、ではその「誰も」と想定する人々っていったいどんな人だい。

 

 

おそらくこう答える。

「私以外の人間」

 

 

これ以上は本人の傷をえぐることになるので、あくまでフィクションとして話をすすめる。

「自分と、その「誰も」が指す人々との違いってなんだい」

「・・・・」

 

なぜこんなことを問うのか。

例えば、

「社会が怖い、人が怖い」

という文脈おける「人間」とはどんな性質を持つか。

「厳しい、怖い、キレる、声が大きい」と記述したところで、それが人間であるはずもない。

 

 

つまりは、相手がどんな人間かもわからずに、勝手に自分のなかで人間像を「作り上げ」て、勝手に怯えている、と考えられる。

 

 

換言すれば、思い込みは無知から生まれるということではないか、ということである。

そして、相手を知るためにはまず自分について知らなければならない。

つづく