こちらのつづき
前回をざっくりまとめると、ヘーゲルは、マキャベリとホッブズが想定した人間社会を「無機的 = フィクション」として、実体とは違うと考えた。
人間の本性は「非人倫的な統計」とヘーゲルは考え、彼らの想定した共同体は人倫的に統一されたものとはなり得ないとした。
であるので、ヘーゲルは「承認」の観点から、人間同士の相互作用から考え直し、人倫の総体について考察を始める。
つづきを書いていく。
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ホネットによれば、ヘーゲルはフィヒテの承認論とホッブズの闘争概念にヒントを得、再解釈を試みたとする。
ヘーゲル『自然法の基礎』のなかでは、「承認」とは、法的関係の基礎をなす諸個体のあいだの「相互作用」と位置付けたとされる。
言い換えれば、それは「間主観性の形態」とされる。
(間主観をざっくり説明すると、「主観」の複数形である。)
ホネットによれば、相互作用とは和解とコンフリクト(争い)の運動であり、それを「承認の運動」とした。
つまり、一人の主体が成立するには、個人が持つ一定の能力と特性が他主体から承認、了解されているという条件が満たされていることであると考えられる。
ヘーゲルはこのようにしてフィヒテとホッブズの理論を再解釈しつつ独自の理論を構築していった。
ホッブズの闘争概念をなぞりつつも、ヘーゲルは次のように再解釈した。
「闘争が辿っていく道は純粋な自己保存の対決ではなく、道徳を媒体とした、人倫的に成熟した関係へと導いていく対決である。」
ホネットによれば、これを「人倫の運動」であるとした。
つづく