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形式的無意識の矯正

イシズム(人種差別)はどのようにして解消されていくのか。

僕は「意識」と「無意識」の領域についてまず考える。

 

 

ある人種に対して「怖い」という感情が生まれると仮定する。

この感情は「無意識的」なものであると考えられる。なぜならば、「怖い」という感情は「意識的」に生まれるものではないと思われるからである。

 

 

怖いという感情を感じることはいけないことなのか。という問いが生まれる。

しかしながら、なぜ「怖い」と感じるのか、を突き詰めると事の複雑性にぶち当たる。

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「規則ですから」

という文句は、僕はあまり好きではない。

「じゃあ貴方は、規則であればなんでもしますか」という反論をしたくなる時もたまにある。

規則によって人が亡くなった例など、世界中でいくらでもある。

 

 

規則とは「形式」であって、形式とは、ある意味「意識的」なものである。

そこには「意図」がある。

しかし、なにもせずにただ従うものは「無意識的」であるといえる。

 

 

公園に書かれている「ボール遊びは禁止」という規則がたまに問題になるが、あれには「意図」があって、その意図を汲まずにただ従うことは「思考停止」だ。

 

 

つまり、「規則ですから」といって考えることをやめることは、形式的に無意識が矯正されていく過程に突入する恐れがあると考えられる。

これを僕は「形式的無意識の矯正」と表現する。

 

 

ただ、今はネガティブな面を考えた訳ではあるが、ポジティブに流れていく可能性もある。

次世代に向けて「レイシズムは絶対にダメ」と引き継いでもらうことによって、無意識が矯正され、自ずと「怖い」という感情が取れていくことに繋がり得るのではないか、というのが僕の見立てである。

つづく