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「考えない」ことの不可能性について

以下、学術的な根拠としてではなく、僕の考えとしての記述。

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赤ちゃんの頃の記憶が無いのは、言語の未獲得ゆえに、日常を認識し、「記憶のまとまり」として「切り取る」ことができないため、「物語のように順序づけができない」から。

というのが僕なりの仮説。

 

「無意識」というのは、文脈によって意味は変わる。

「無意識でやっていた」という使われ方もする。

 

ただ、僕にはそれは、「身体が記憶」していたからであって、「反射的」動作のように見え、意識はあると考える。

 

 

厳密な「無意識」は、やはり睡眠中や気絶したとき、全身麻酔のような限定的場面だけに限られるように思われる。

 

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または、「考えることができない状況」と言えるのだろうか。

 

 

「今からなにも考えないようにしなさい」と言われても不可能ではないか。

しかし、その原因を突き詰めてみると、

人は無意識的に、半ば強制的に「考えさせられる」状況に日々おかれているようにも思われる。

 

 

何が人に考えさせるような運動を与えるのだろうか。

おそらく、こういうことを考えていた人は過去に膨大にいると思われるので、いろいろな文献にあたってみたいと思う。

つづく