火山を研究する人は少ないと思われる。
というのも、僕は京都大学の鎌田先生くらいしか知らないからである。
一方で、哲学を研究する学者は日本でも多い。
千葉氏、國分氏、山口氏、加藤氏・・・・・・
この差はともかくとして、僕は火山と無意識には相似的なものを感じる。
というのも、火山が噴火するように、無意識も時として爆発するように現前するからである。
例えば、シュルレアリスム運動は、近代化によって抑圧された人間の解放運動であったともされる。
また、地球は火山なしには成立しないように、人間も無意識なしでは成立しないように僕は見える。
火山自体を勉強するのは僕にとって退屈そのものである。
だが、火山と無意識を絡めて勉強していけば何かしら新しいものが見えてくるのではないか、というのが僕の見立てである。
ストレス解消として「ガス抜き」という言葉はありふれている。
ところが、人間にとってその「ガス」とはいったい何なのか。
実は全くわかっていない。
にもかかわらず、存在しているかのように人は認識している。
それが無意識の範疇にあるからこそ見えないのではないだろうか。
つづく