僕は言葉にナーバスである。
「モテそう」というのはなんですか。
僕は裏をすぐ深読みする。
そして哲学的考察が始まる。
言われたからには、「モテる」要素はどこかにあるのかもしれない。そう信じたい。
しかし僕の何が「モテる」要素なのかは曖昧である。
かといって「どこがモテそうなの?」とは聞きにくい。
顔?声?服装?身長?
仮に、僕はこれらを全て、モテる基準にまで高められているとする。
「モテてないじゃないか、、、!」
つまり、何かが足りないのである。
あと一押しで僕はモテるのである。
それを教えてくれ、、!
しかし、無理な話である。
人が、異性のどんなところに惹かれるかは厳密にはわからない。
つまり僕は考えるしかないのである。
じゃあ会話の仕方なのか?コミュニケーションや立ち振舞い、結局そんなもんさ、、
と僕は考える。
正しい会話の仕方、立ち振舞いを講師に叩きこんでもらう。
完璧なる紳士の誕生。
しかし。
何か決定的なものが足りていない気がする。
そもそもだ。
会社で立ち振舞いやコミュニケーション能力はどの程度重要なのだろうか。
専門職の人は全く人と話さない人も中にはいる。
モテる前提にコミュニケーション能力を想定することは正しいか否か。
僕はノーを叩きつけたい。
僕はコミュニケーション能力を磨くことに何か致命的なミスを予感する。
コミュニケーション能力ほど曖昧な能力はない。
結局人は曖昧なことが好きなのだ。
そうだ。
ヤバい、可愛い。
人は、曖昧だけれども、それでも何か同じような考え、経験を共有している気になっている。そしてそれでいいと思っているのだ。
僕にはついていけない。
そんな能力はないのだ。