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感覚閾値・哲学・言語

閾値とは、感覚(痛い、痒いなど)を自覚できるための「最小の値」のことである。

つまり、閾値より低い刺激は感じることができない。

 

 

 

言語はとにかく曖昧で、突き詰めすぎるとトートロジーに陥る。

トートロジーとは「同語反復」のことで、言葉を同じ言葉で説明することである。

例、「価値とは価値あるものだ。」

 

 

 

哲学は閾値が低い状態と言える。

普段、人は便宜上、どうでもよいことを考えるのは無駄なので、そういうことは省く。

 

 

 

「コミュニケーション能力」と聞くと、僕は突っ込まずにはいられない。

それは、どうでもよいことを「どうでもよい」とすることを「よしとしない」、つまりは、どうでもよい刺激にいちいち反応してしまう程、感覚の閾値が「低い」状態であると言える。

 

 

鈍感力という言葉がある。

これは、言い換えると「閾値が高い=知覚するための最小の値が高い」といえる。

 

 

どんな刺激にも動じない。動じないというよりかは「閾値が高いので知覚しない」と言える。

別名、「のれんの法則」(樺沢紫苑)ともいう。

 

 

人生を草にするためには閾値を高くすることも大事だ。

つづく