僕は日記感覚でブログを書いている。
日記とは自分に関する統計データとも言える。
多ければ多いほど精度が上がり、自分が見えてくる。
公に発信する以上は、勿論なんでも書いて良いわけではない。
できれば自分だけの秘密の日記帳に書いた方が良いのかもしれないが、なんだかんだブログが2年以上続いてしまったので、僕はもうここに残すことにしている。
『全体主義の起源』や『人間の条件』で有名なハンナ・アーレントは、
「憂鬱状態を抜け出すには理解しかない」と言った。
僕はとても共感した。
自分を知ることなしに、自分の問題は解決しない。
自分には意識があって、やりたいことをやれる意思があると「錯覚」しているだけである。
というのも、人間は生まれる前から既に母親の体内という「環境」に置かれている存在であり、生まれてからずっと常になにかに「囲まれている」状態だ。
このことをハイデガーは「被投」と表現した。
相手が何を考えているのかがわかりづらいのであるならば、まずは何を考えているのか分かる「自分」についてしっかり考えれば、人間像が見えてくると僕は常に思う。
つづく