こちらのつづきです。
人間、不思議なもので、お互いが共通の知識や認識などを共有していると、会話のみでもかなりの高度な情報をやりとりできるのではないか、と思うのです。
僕は昔、漫画はただ紙に絵が描いてあるだけで、何か虚しくないか、と思ったことがあります。どれだけ物語が展開しようが、フィクションはフィクションで、常に、紙に何かが更新されるだけ、という悲観的な考えを持っておりました。
今では、それは暴論だと思っています。
「重ねる」「連結する」ことの壮大さを僕は知ったからです。
前に積分に関して、記事にしました。
高度な知識を持った学者同士の会話は、恐ろしいほどに高度な情報が交わされるはずです。
面積が線になれば、今度は「線=面積」として、比喩なりレトリックなりで「線」という言葉を応用し、加工して別の情報を伝えることができるからです。
僕はこのことを、「情報の高密度化」と呼んでみたいとおもいます。
つづく