こちらのつづき
例えば、
囚人のジレンマが典型的であるように、
個人の利益「だけ」を最大化することを目的とした場合、結果的に「非合理的」な結果になる。
つまりは、「だけ」においては「合理的」で、「二者」においては「非合理的」。
肥満の例も、もしかすると、
本人「だけ」においては「合理的」で、国というマクロからすれば「非合理的」。
つまりは、合理的な行動というものは、常にある側面においては「非合理的」となるのではないだろうか。
しかしながら、経済学の本を読むと、今日では、人々は複雑な計算式で経済を、政治を、そして世界を考えている。
僕は大学院の入試を終えてから薄々限界を感じてきた。
というのも、数式や数理モデルに当てはめて考えていかなければ、それこそただの素人の愚痴になってしまう。
僕は、
「思想には根拠がない」という意見を根に持っている。
悔しい。
また、こちらでは「偏微分」に触れた。
このブログのクオリティをさらに上げていくため、さらに人生を豊かに生きる方法を実証的に示していくため、僕は再び数学を極める決意をした。
まずは大学院入試手前までのレベルにもっていきたい。
つづく