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ナッジと合理的な行動について語る

ナッジ [ nudge ] とは行動経済学の用語で、端的に言えば「望ましい選択を選んでもらうために後押しすること」である。

しかしナッジを巡って人々は対立するーーー。

 

 

肥満にたいして、制度的なアプローチでの改善を目指すか、それとも自由を尊重し、そのままにしておくかーーーー。

 

ある主張では、ファストフードを食べることは肥満になりコストがかかる。そのため「非合理的」な選択なのだという。なにやらおかしい、、、

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何を持って「合理的」と判断するのか、という基準付けが大前提である。

 

というのも、ある側面においては「合理的」で、ある側面においては「非合理」とされる行動なら無限にあると思われるので、一面的に合理性を問う仕方で物事の判断を行う限りにおいては、ナッジを使った対策は無意味なものとなるだろう。

 


 例えば肥満の例が出たわけではあるが、「美味しいものを安く食べたい」という欲求があったとした場合、そこに「肥満」の概念を持ち出すことになにか意味はあるのだろうか。
つまり、そこで想定されるのは、「肥満」という概念を持ち出す根拠として、本人が肥満を天秤にかけて行動しているのかどうか、という問い立てである。この場合、本人にそのことについて「意識」があるのかどうかが論点となるだろう。

 

しかしながら、それをどうやって計測し、判定を下すのだろうか。およそ不可能ではないだろうか。つまり、「推測」を伴った、「仮定」としての「判定」となりうる。

 


 そのため、いくつかの仮定を持ち出して判定しなければならないと考えられる。

あとはコンセンサスの問題、多数決の問題といったように、「基準付け」に関する議論がなされると予測される。

何故ナッジが議論の対象となりうるのかというと、結局はaverageとしての「コンセンサス」の話に収束していくという帰結からではないだろうか。

つづく