と僕はみています。
この1年、逆説についてもいろいろ考えてきましたが、物事と逆説は親和性が高いと今でも思うのです。
沢山書いてきました。
改めて確認したいのですが、
ニヒリズムとは「すべての物事には意味や価値がない」と考える立場です。
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面白いところは、ニヒリズムであることと無気力であることが必ずしも一致しないことです。
僕の知る、とある有名なニヒリストは、くだらないと言いつつも、毎日のように「無価値」と言いつつも、それでも活動をしているという事実です。
客観的にみれば、その方がなんらかの価値や意義を見出しているように見えるのです。
よくある例では、もしかすれば、地球からすれば人間は害であるという側面があります。
人間活動には根本的に意味がない、と結論付けても、結局のところ、死にたくはないですし、人間の活動を阻止するようなことも現実的にはできません。
結局のところ、生物として生きている以上、生きない、という選択をすべての人が受け入れることは不可能という、当たり前の帰結になります。
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僕は、
「これは価値がある。絶対に意味がある」と確信すればする程、実はあまり価値を生まないことをなんとなく感じます。
それは先ほど挙げた逆説の記事に沢山書いてきたので割愛します。
ニヒリズムは、徹底的に人間の活動に意味付けしないことによって、結果的には意味が生まれるのではないか、というふうに僕は見ています。
つまりは、ここでもやはりニヒリズムは逆説的に、意味を生み出す思想となり得るのではないか、ということです。
批判したい方、疑問に思う方も多いかと思いますが、逆説について長期間考えてきた僕の考えです。
つづく