上野千鶴子さまが、男が女を「モノ」扱いにして憤慨していらっしゃる。
気持ちはわかる。僕は男なので、本当の意味で共感はできないが、「モノ」扱いしている感覚は理解できる。
ただ。ここで考えるべきことがある。
所有欲は電気信号であると分かったとき、そのあと何が考えられるか。どんな問いを立てられるのか。
恋愛における
「モノ」「モノ扱い」「関係」の意味・関係性とはどんなものだろう。
断じて、人間はモノではない。誰にでもわかる。
問題は「モノ扱い」である。
「オレのものはオレのもの。あの女もオレのもの」
大人になったジャイアンがそう言ったとしよう。
あの女は、まず「モノ」ではない。「モノ扱い」になってはいるかもしれない。
上野氏は、所有欲のつきまとう恋愛について、「(女性側には)主体がない」と表現した。
ようするに、ロボットということである。
ただ。
ロボットのような恋愛なんて有り得るのだろうか。
そんなもの、パパ活でしかない。今は恋愛の話をしている。擬似恋愛でもない。
モノ扱いしようが、相手が人間であることに変わりはない。
意見を主張したらそれで「主体」は成立しないだろうか。
いまいち上野千鶴子さまの言っていることがわからない。読解力不足なのだろうか。
彼女のほかの本でも読んでみるしかないのか・・・