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読書日記と哲学がメインです(毎日更新)

時間が経てばよくなる。それは嘘。安心の反対は不安。否。

安心の前に不安はあった。
時間が経った。不安は消え、安心が生まれた。
不安の時も安心の時も僕は僕だった。
その事実はどうあがいても変わらない。
また不安になった。その不安もまた時間とともに消え、安心が生まれた。

今は貴方は不安だろうか。不安な貴方は安心しなさい。すぐに安心になる。
安心の貴方は用心が必要かもしれない。不安が来るかも知れない。

不安の前から安心はあったのか。
安心の前から不安はあったのか。

不安な時は安心が小さいのか。
安心の時は不安が小さいのか。

不安が大きい。この言い方はしっくりくる。
不安と安心は共存している。

健康であれば安心は自然に増大する。ずっと不安でいるよりずっと安心でいることのほうが可能性としては大きい気がする。

不安神経症。あの頃は不安が自然に増大する状態だったのだろう。健康であれば安心が増大していくことの説明になる。

時間が経てばよくなる。
時間が経てば安心が増大するから不安がなくなったように見える。
問題はここだ。なくなったように見える。
つまり問題はあるという事実は変わらない。
安心の前に不安が大きかった。不安を大きくした問題は、安心が大きくなったことによって消えたのだろうか。
おそらくは消えていないのではないか。
何言ってるの?消えたよ!

不安は消えない。安心も消えない。
安心が大きくなって問題が消えたような気がするだけ。
問題が本当に消えたのであれば、、、
安心が大きくなることによって解決するという問題。
それのどこが問題なのだろうか。
それは問題ではないのだ。
要するに、不安であることが問題なのだ。
不安が大きいことが問題なのだ。

不安神経症なら病院に行かないといけない。
そうでないなら、不安の何が問題なのだろう。
人は安心が増大するようにできてる。
問題が起きた瞬間に問題は解決している。
滑稽だと思わないか。

増大が不安に向かうか安心に向かうか。
それだけじゃないか。
もちろん、時間が経てばよくなる。と思われる問題についての話だ。

つまり時間が経てば治るは、ある意味嘘なのだ。
時間が経つ前から安心は増大を始めているんだから、不安が大きくても問題は解決している。

さていったい本当の問題とは何だったのだろう。