プラトンの『国家』を読み終えていろいろと思いをめぐらせる。
紀伊国屋書店に入る。
社会や政治のコーナーに立つ。
慶應義塾大学出版会から『格差と闘え』という本が新しく出ている。
少しだけ立ち読み。
「格差問題を解決する方法はある」と書いてあった。
トマピケティの本を同時に想起する。
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経済成長よりも資本の収益率が上回る。
『トマピケティ以後』という、ピケティの批評書も存在する。
何が正しいのか。
何が正しくないのか。
ハッキリ言って、専門家でもどうしようもないように見える。
「直観力」
僕はこの力に委ねられると考える。
例えば、資本家はそもそも能力があったのだから歴史的に資本を拡大させてきたのは当然ではないか、という思いも多少ある。
分配は正義か。否か。
最先端の本とは言え、情報は情報だ。
10年経てば5000円の本が1500円くらいになってしまう。
常に状況は変わり、10年前の経済学の本から勉強しようとすることは滑稽だ。
かくして、人は情報に左右され振り回されつづける。
資本家にさらに税をかけ、分配すれば良いのか。
しかし、政策もルービックキューブのように、ある箇所をいじくりまわすとある箇所も動き、秩序が崩れるのではないか。
巨大な企業が本気を出すとあらゆる手段を尽くして阻止するかもしれない。
なんらかのアルゴリズムが政治を主導してもおかしくない世の中。
政治は機能するか。民主主義の限界か。
国家単位レベルでのベーシックインカム実証実験は今もなお存在していない。
やるか。やらないか。二択。
経済、政治、さらにはテクノロジー。そして金融。環境の倫理問題もこれから視野に入れなければならない。差別問題も未解決のままだ。
もはや僕のような素人には太刀打ちできない。
これだけ難解なパズルをどう解けというのだろうか。
何かを学べば学ぶほどに自信が無くなっていく。
だからこそ、自分だけはしっかり生き抜いていこう。結局はそこに落ち着いてくる。
つづく