読んだ本
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メモ
"六カ月と十二カ月の子どもたちを用いた実験では、いくつかの行動変数について、人間であれ人形であれ、魅力的な顔の好みの持続性が示される。新生児期に美的差別が実践されているということだけではなく、それが大人の美的好みと一致しているということも、驚くべき事実である。最後に、もう一つの事情が「美の感覚」の進化論的基礎付けというダーウィンの仮説を支持する。人々とのつきあいにおいて美的区別は、自発的に、精妙に、ほんの一瞬で、高度に間主観的な信頼性をもってなされる。行動選択と美的以外の評価に作用するその結果は、意識に残らないのが常である。このような作動様態は、もっぱら学習と教育によって獲得される能力よりも、むしろ遺伝的な根拠を持つ能力にふさわしい。美的判断の原理的普遍性というカントのテーゼは、それゆえ進化論的証明が可能であるように思える。" P93 (メニングハウス『美の約束』)
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日記
人文知と科学知の接点のひとつに「美」が挙げられるのはいうまでもない。
人文のなかで美は歴史、芸術、小説や詩の要素において絶対的に無視できないものとなっており、科学では主に進化論のなかで活発に議論されるトピックのひとつである。
『利己的な遺伝子』は全部読めていないので詳しくは分からないが、そもそもDNAには意志というものがあるのだろうか。直感としてはそうは思えない。何故なら、人間の悩みや苦痛のなかで、遺伝的な要因が原因となって発生するものが絶えないように思われるからである。
何故自らを苦しめるための遺伝子をわざわざ複製しなければならないのか。
何故何も悪いことをしていないのにもかかわらず難病で苦しむ人が絶えないのか。
何故DNAは自らの欠点を自らで補うことをしないのか。
芸術には「模倣=ミメーシス」の作用がある。
プラトンがソクラテスに詩人を追放するように語らせたのはいうまでもなく模倣の力であった。
モノマネという文化があるように、模倣は人間の根源的なものである。
自分はこの模倣の作用という現象が原子レベルでどう説明できるのか気になった。
遺伝子は結局のところ「複製=模倣」することしか能力を持ち得ないのだとしたら、世界はやはり機械論的に、ある法則通り動くだけでしかないのだろうか。
でもそうは思えなく、生命には単なる模倣を行うこと以上の力を持っているように思うのは普通の感覚ではないだろうか。
『「生きている」とはどういうことか』では、細胞がまるで知能を持っているかのように振る舞った実験が紹介された。
知能にもグラデーションがあるが、高度になると単なる「複製=模倣」を超える力を持つようになる。だから人間は遺伝子上の欠点を技術で補う。
そのように考えているときに松岡正剛『宇宙と素粒子』を読むと巨視的にとらえることができた。
そもそも言葉には限界があり、言葉には表せないこと以上の包括的な理論を考えなければならないことをボームは『全体性と内蔵秩序』によって示唆したのだという。
現代哲学はあまりにも難しいので認識論や現象学の最先端はさっぱり分からないが、以上の分野になんらかの学問的な貢献をしているのは想像がつく。
人文と科学の幅の広さに畏敬の念を覚えるとともに、読書の楽しみも同時に覚えた一日であった。
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