読んだ本
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日記
「正義は時代によって変わるか」の章を読んだ。
加藤尚武氏によれば、価値判断は本質的には変わらないという。
昔であればタバコは「健康に良い」と思っている人がいたかもしれないが、今はほとんどいないだろう。しかし「健康に悪いものは摂取しないほうがいい」という価値判断は変わっていない。事実(タバコは健康に害である)が変わっただけである。
人間の価値観には非常に多様性があると思うが、その「原理」自体は実はあまり多様性はないのかもしれないと考えさせられた。
加藤尚武氏によれば、相対主義における善悪の考え方は「ある特定の社会にとって善いこと」を意味する。Aという国で悪いことはBという国では善いことだと認めること。AとBについてあれこれ考えて干渉することは相対主義においては不正だとされる。
しかし矛盾があることを加藤尚武氏は指摘する。
自分もこのブログに書いたが、「絶対に正しいことなどない」という命題は、その命題自身によって否定されてしまう。
「ということはこの命題も正しくないのでは?」という突っ込みが入る。
"相対主義は実は「正義は存在しないという態度をとることが正義である」という矛盾した主張をしていることになる。" P225 ( 加藤尚武『現代倫理学入門』)
正義はないが最適解はあるのか?もしあれば最適解はどうやって導くことが可能か?
次に『哲学JAM』を読んだ。
もう忘れている人も多いかもしれない、青山の児童相談所問題が取りあげられた。
政治的な議論は解決策がもう決まっていることが前提であることが多いようである。
青山の問題であれば、反対する人は「建てるべきでない」で賛成派は「建てるべきである」とあらかじめ決まっている。
哲学者はこういう場合、「正義の味方」であるべきではなく、一人一人がひとつの判断をした理由を本人に問い、掘り下げていき、その理由をどんどん詰めていく役割であるべきだという。
要するに哲学者は「ファシリテーター(中立的な立場で議論の場をまとめる人)」であってはならないということだとであった。
政治的な議論は具体的な実践の話がメインになってくるので「価値の原理」について見逃されていることが多いかもしれない。
加藤尚武の言葉は非常に印象的であった。
倫理学研究者が「価値判断は本質的には変わらない」と回答を出したのは大きい。
もしそうであれば何故論争は止まらないのか。それは事実の共通認識のズレだと自分には思われた。
他の要因も多くあるかもしれないが、論争においては認識に関するすれ違いがほとんどを占めているのかもしれなない。
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