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読書日記1117

読んだ本

グレゴリー・ベイトソン『精神の生態学へ (上) 』岩波文庫 (2023)

つづきを読み進めた。

 

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日記

 

今日もだらだらと読書を行った。

しかし疲れのせいか、読んでいて意識がなんども飛んでしまう。

それでもページは飛ばさずにスタバで長居。

 

ベイトソンはアナロジーの落とし穴に注意喚起しながらも、分野横断的な思考について触れる。

"ある分野での分析に役立つ知的操作が、他の分野でそのまま役立つことがある。<自然>の枠組み<形相>は分野ごとに違っていても、知の枠組みはすべての分野で同じである、と。" P179

 

 

前回ではベイトソンが知識は掛け算であるべきことを間接的に伝えていた。

多読の醍醐味はここにある。

自分は編集工学研究所の所長、松岡正剛氏の著書からこの着想を模倣した。

 

 

あるテーマに沿って10冊ほど続けて読めばそれだけでかなりの飛躍になると自分は考えている。

具体的に書いてみると以下の通りである。

 

倫理学で学んだ原理を政治の原理に応用できるか考えてみる。

⇒倫理と政治がある程度相似していることが分かる。

⇒アナロジーとして考えると、国は国民を、理性は自分を統制していると考えられる。

⇒次に政治思想の本を読んでみる⇒レッセフェール(自由放任主義)を個人に当てはめてみる。「なすに任せる」⇒個人に当てはめてみる⇒「欲に任せる」⇒「欲に支配された個人」という図式はレッセフェールの本質か?という問いが導かれる。

 

 

すると今度は「自由とはどんなことを指すのか?」という思考が生まれる。

⇒自由意思について哲学書(ダニエル・C・デネットの本など)を手に取る。

⇒責任と自由がある程度密接していることが分かってくる。

⇒自由意思がないと分かれば責任の本質が問われる。「法律って本当に機能しているのか?」

 

法哲学に繋がる。

 

このようにして本と本は連鎖していく。

 

 

クイズ番組が流行っているが、雑学はただの足し算でしかない。

メタ的な知、知の種類に関する知。

ベイトソンの方法論はここに重点を置いているように再度感じた。

 

・・・

 

話をがらっと変える。

今日は甲子園の決勝戦であった。

自分は仕事なので当然リアルタイムでは見られない。なので録画して家でゆっくり見ることにした。

しかしうっかりすればいくらでもニュースは耳にはいる。

電車内で何気なくモニターを見ていたらニュースが流れてくるかもしれない。

LINEを開いたらニュースが流れてくるかもしれない。

 

 

「今日大谷はホームランを打ったのでしょうか?」

とニュースでやれば「ああ、今日は打たなかったのか」と分かる。

あるメッセージは別の意味を伝達する。

そして世には膨大な情報が溢れている。

 

 

ネタバレに神経質になり、自分はお腹が少し痛くなった。

どうしても夜、ゆっくり楽しみたかった。

しかしそれにはニュースを封じこまなければならない。

 

 

情報があまりにも溢れている社会であることを再認識した。

情報過多社会の処方せんをベイトソン式の方法論で切り抜けたい。

 

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関連図書

 

 

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