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読書日記1125

読んだ本

ピエール・カスー=ノゲス『ゲーデルの悪霊たち:論理学と狂気』みすず書房 (2020)

 

グレゴリー・ベイトソン『精神の生態学へ(中)』岩波文庫2023

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日記

 

 

自分は医師ではないので統合失調症についてあまり書けないが、ダブルバインド仮説が仮に正しいのだとしたらそれは何を意味するのだろうか、と電車のなかで考えていた。

ベイトソンは幼少期に受けるダブルバインドがのちに統合失調症となって発症するのではないか、と中巻で示唆したが、そんなことはこの世界では日常茶飯事である。

先生が言うことと親が言うことが矛盾することはいくらでもある。現代科学をもってしても、統合失調症の根本的な原因については未解明である。(ストレスなどによる、とざっくり説明されている)

 

 

この本を読むと、統合失調症というものはやはり社会病理なのではないかと思えてくる。

統合失調症の症状に関する定義が広すぎることに自分は疑問を持つ。

自分も精神病棟で働いた経験があるので、患者がどのような認知、論理構造を持っているのかはある程度理解しているつもりであるが、人類学の本を読むとそれは(つまりは、統合失調症という病名が作られる原因)、単に複雑化し過ぎた社会構造にあるのだということである。

 

 

ゲーデルは、近くにいるかもしれない悪霊の存在を気にしていた描写があった。

これも現代社会では「妄想」と片付けられてしまうかもしれない。

何を言いたいのかよくわからない人がいたり、挙動不審な人は一定いる。しかしそれはごく表面的なことであって、見えない世界(心など)では普通の人と同じか、むしろ卓越したものを持っている人もいる。

正常とは何か、という問いを今一度自分につきつけてみると、そこには二つの次元があるようにみえた。

 

 

社会的な次元と、人間の歴史的・普遍的な次元である。

前者は社会や権威によって規定され、後者は普遍的なものに規定される。

ややこしい書き方であるが、ようするにどれだけ「普通の人」から逸脱していようが、それでも「人間」であって、しかしながら社会的に逸脱している場合時には排除されるというだけの話ではないだろうか。

 

 

権威・権力による偏見は根強い。

ニュースを見ればいかにマクロ的なもの(=社会)がミクロ(=個人)にまで浸透しているのかが分かる。

偏見を取り除くには「教育」が必要でもある。

今日、社会や道徳ではどんな授業が行われているのだろうか。

教師陣はどこまで勉強しているのだろうか。

気になるところである。

 

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