僕の仮説としては、
「集中力は在ったのではなく、発生した、または授かった。」
このことが考えられます。
過去に環境と集中力について記事にしました。
何故か。
例えば、駅のホームについたけれども、あと10分待たないと電車がこないという例を考えます。
首都圏の方はおそらく「マジかよ」と思ってしまう方が少なくないと思われます。
そしてスマホや本を取り出す。見る。
でも、何かに「気を向ける」ことによりイライラは消えていくと考えられます。
裏を返せば、「スマホや本」が集中力を「与えた」とも言えます。
注意と集中。
関係あると僕は考えます。
「集中力」
この言葉がいかにズレた仕方で使われているのか、今後も検討していきます。
つづく