継続と不確実性
僕は、このタイトルを考えるときにいつも思うことがあります。
「継続は力なり」
いやいや、当たり前じゃないですか。
逆に、継続が力にならないということは、要するに「断片的」であって、行っていたことがそれぞれ「独立」していたということを意味しないでしょうか。
継続とは作業の結合です。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
さて、本題ですが、継続は確かに結合ではありますが、
点と点を結ぶ「距離」はあまり考えなくて良いのかなと思っております。
「毎日やらなければならない」
という余計なプライド、強迫観念が「継続」に「意味付け」し、結果的に「無意味」になる可能性があることを僕は散々書いてきました。
たまにやっても10年続けば立派な「継続」であると僕は考えます。
僕がルーティンという言葉が嫌いな理由はこれに尽きます。
つまりは、「完璧主義」のような匂いがするのです。
最後に副題、「継続と不確実性」について書いて終わりにします。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
サイコロがあったとして、「2回連続で6になる確率」は、単純計算では1/36ですが、
36回やれば必ず「1回くらいは2回連続で6になる」とは言い切れません。
継続も不確実性の範疇にあると僕は考えます。
つまりは、どこまで継続が力になるのかは厳密には「不確実」ですし、どうすれば「継続」できるのかも厳密には「不確実」なはずです。
そういう意味では、やはり「楽しいから続く」かもしれませんし、「続いたから結果的に楽しくなった」が正解かもしれません。
結論としては、「自分の声を聞く」ことがやはり大事だと思う日々です。
つづく